ベルボトムは、1960年代後半から1970年代にかけて、特にヒッピー文化やカウンターカルチャーの一部として人気を博したファッションのスタイルです。
その独特なデザインと個性的な印象から、世界中の若者たちに愛されました。
ベルボトムの歴史は、その起源から現代までの半世紀以上にわたる進化と変化によって特徴付けられます。
ベルボトムの誕生
ベルボトムの起源は、軍用のパンツにあります。
1817年に船員のために広がる脚幅と裾が広がるデザインが導入されました。セーラー服とフレアシルエットのパンツをセットで着用することが多かったようです。
引用 Pinterest
19世紀後半から20世紀初頭にかけて、アメリカ合衆国の軍隊で正式な制服として広く採用されました。
クラッカージャックと言われる海軍の制服。
遠方より海軍と一目で認識するために採用されたと言われています。
第二次世界大戦後のベルボトム
1960年代、第二次世界大戦後、世界は大きく変わっていきました。
若者たちは社会のあり方や価値観に疑問を抱き始め、特に、人種差別、核兵器の脅威、ベトナム戦争への反戦運動など、当時の政治的・社会的な不満がたくさんの人が集まるヒッピー運動へと繋がっていきます。
音楽、芸術、愛、平和を称え1967年のサンフランシスコでのヒッピー集会では何十万人もの若者が集まりました。
若者たちが、新たなる自由と平等の象徴として、ヒッピー文化に身を委ねた象徴的な一つが、ベルボトムでした。
太い脚幅が広がるデザインは、自由奔放なスピリットを表現し、伝統的なファッションに挑戦する勇気を持った若者たちに愛されました。
音楽、映画、テレビなどのメディアで大々的に取り上げられ、ファッションのトレンドとして定着しました。
ロックやサイケデリック・ロックなどの音楽ジャンルが台頭し、有名なロックアーティストやミュージシャンがステージでベルボトムを着用し、そのスタイルは若者たちの間で大きな影響力を持ちました。
ヒッピー文化とベルボトム
代表的なヒッピー・バンドとしては、ジェファーソン・エアプレイン、グレイトフル・デッド、ジミ・ヘンドリックスなどが挙げられます。
また、ウッドストック・フェスティバル(1969年)やアルティモンテ・フリーコンサート(1969年)など、多くのヒッピーが集まる大規模な音楽イベントが次々と開催されました。
↑1970年、南米チリで行われたロックフェス
また、映画やテレビドラマの中で、ベルボトムが登場することも多くなりました。
例えば、1970年代のアメリカのテレビ番組「チャーリーズ・エンジェル」などで、主要キャラクターがベルボトムを着用するシーンが多く見られました。
ザ・ビートルズのメンバーとして知られるジョン・レノンも、ベルボトムを愛用していました。ベルボトムをステージ上やプライベートでよく着用していました。
日本にベルボトム到来
1970年代には、日本の若者たちがベルボトムを取り入れる中で、独自のスタイルが生まれ始めました。
日本独自のファッション文化や美意識がベルボトムのデザインに反映され、徐々にヨーロッパやアメリカとは異なるスタイルが形成されていきました。
特に、日本のデザイナーやファッションブランドは、細部にまでこだわったデザインや高品質な素材を使った製品を提供することで知られており、これが日本のベルボトムの進化に影響を与えました。
↑日本中で展開した1970年初期モデルBOBSONベルボトム
↑復刻したベルボトムレトロブリーチカラー
ベルボトムのトレンド
ベルボトムは他のファッションと同じように一時期の流行が過ぎ他のファッションスタイルに移行する時期もありますが、1990年から2000年、2015~2024年の期間などレトロファッションが注目されるたびに復活します。
注目されるたびに多様な素材やデザインが生まれ親しまれています。
ベルボトムはファッションの定番アイテムの一つとして定着しています。フレアパンツとも言われることもあり、さらに多様化の一途をたどっています。
多くの日本人に愛されたBOBSONのベルボトム
多くのファッションブランドが、ベルボトムを取り入れたデザインを提供しておりますが
BOBSONのベルボトムは日本のベルボトムジーンズの原点。1970年代、一番多くの日本人にBOBSONのベルボトムジーンズは着ていただいています。
日本ジーンズの歴史を受け継ぐように1970年に作られた素材、データをもとにアップデートされて作られており瞬間のトレンドに流されることなく永く着用してもらえるように設計されています。