皆さんは、約30年前に日本中が応援していた「とあるドキュメンタリー」をご存知でしょうか?
そのドキュメンタリーは、鈴鹿サーキットで行われるオートバイでの8時間耐久ロードレース(通称、鈴鹿8耐)に一人のベテランレーシングライダーと素人がチームとなり挑戦するというものでした。
その名も、チーム・シンスケ(TEAM SHINSUKE)
チーム・シンスケとは、島田紳助さんが中心となり1985年に結成された、オートバイのレーシングチームです。
紳助さんが以前より親交のあったベテランレーシングライダーである千石清一さんに「鈴鹿8時間耐久ロードレースで走ってもらいたい!」という希望のもと、様々なメンバーが集結しました。
メンバーの構成はというと、
紳助さんの高校生時代の同級生であった「土建屋よしゆき」さん
消防士である「ファイヤーやっこ」さん
紳助さんとオーストラリアツーリングを共にした「ナオ」さん
など、紳助さんとプライベートで親交がある方が中心となりました。
メンバー紹介で察した方もいらっしゃると思いますが、
チーム設立時のメンバーにはベテランライダーの千石さんを除き、紳助さんを含めてレーシングチームの運営などに関与した経験のある方は一人もいなかったそうです。
〈当時の時代背景とBOBSONのご縁〉
バブル景気の影響もあり、鈴鹿8耐にはプロライダー以外の参加者も多かったのだとか…。
その中には芸能人や他競技のスポーツ選手が参戦していたようですが、そのほとんどが話題作りの参加だったようです。
一方で、チーム名に「シンスケ」の名はあるものの、紳助さん自身はあくまでも一個人として真剣に鈴鹿8耐に参加していました。
また、その真剣さを表す証拠として、紳助さん自らが企画書を手にスポンサー集めに奔走していたのです。
実績のないチームですから、スポンサー集めは至難の業。
そんな中、我々BOBSONはチャレンジ精神あふれる男たちの姿に心打たれ、スポンサーを名乗り出ました。
このような経緯があり、BOBSON本社にはこんなお宝級のライダースーツが。
今も大切に保管されており、色鮮やかなスカイブルーも当時のままです。
〈チーム・シンスケの活躍〉
サーキットの外だけでなく、サーキットの中でも真剣にレースに取組むチーム・シンスケの姿は、参戦を重ねるごとに評価が高まっていきます。
しかしながら、初参戦である1986年は予選で好順位をつけながらも途中リタイヤ、1987年は予選落ち。
初心者の多いチームで仕方がないとはいえども、苦しい時期が続きました。
そんな苦戦の中、1988年に初の完走に成功。
安定して成績を残し、純粋なプライベートチームの中でも上位の成績を残すまでになっていきました。
活動期間に関して、チーム設立当初からベテランライダーとしてチームを支え千石さんは「ずっと活動を続けていたい」というスタンスでした。
一方で、紳助さんは1991年頃よりチームを終了させることを考え始めていました。
直ぐにやめることはせずに、設立から10年目となる1995年を節目として活動を終了することとしました。
その最終年では、このレースを最後に引退する田村圭二がラストランを行い、10年間の歴史に終止符をうったのでした。
〈一度限りの復活〉
チーム解散後、雑誌のインタビューにおいて紳助さんは「何年後かに、もう一回だけ復活する」と答えていました。
その言葉通り、2011年の第34回大会では「一度限りの復活(One Time Revival)」を謳って復活参戦。
この時は従来の参戦形態とは大きく異なり、自身の番組である「紳助社長のプロデュース大作戦!」の企画という形での参戦でありました。
チーム代表は過去の参戦時同様に千石さん、チーム監督は紳助さんが務める黄金チーム。
メカニックも、当時のチーフメカの喜田倫弘さんが中心となりマシンを仕上げたそうです。
また、この参戦は「東日本大震災の復興支援」の意味も含まれていました。
第1ライダーには宮城県出身で実家が震災で被災した中木亮輔を起用。
宮城県出身で自身もロケ中に被災したサンドウィッチマンのお二人がフロントタイヤ交換をし、企画の趣旨に賛同して自ら参加を申し入れた渡辺正行さんがガソリン補給を行うなど東北出身者が中心となりチームクルーを構成しました。
・チームとしては16年ぶりの参戦というブランク
・正式表明から2ヶ月足らずという短い準備期間
・ピット作業を全くの素人が行うという状況
という厳しい条件の中でも予選では好成績を残し、26番手を獲得。
決勝では序盤に中木さんの転倒はあったもののその後は順調に周回を重ね、目標周回数の207周には届かなかったものの204周を走り切りました。
チームで掲げた目標順位の15位を上回る、チーム過去最高位タイの14位で完走を果たしました。
〈さいごに〉
BOBSONの歴史の中にこんなにもアツい1ページがあったとは。
本社で大切に保管されているライダースーツをみつけた時、「これにはきっと意味があるのだろう!」と感じたのは多くの方のアツい想いが染みついていたからかもしれません。
今回はそんなBOBSONの歴史にも触れた番外編でした。
BOBSONのアツい気持ちは時代を超えて今もなお、ジーンズづくりに注がれています。
ぜひ、ジーンズもチェックしてみてくださいね。